コラム

2014/01/518 明治以前の『右脳教育』

明治より以前、日本の子どもたちは寺子屋において学習をしました。
そこではもっぱら『論語』などの古典を素読するところからはじまりました。
素読とは、書物の意味・内容を考えることなく、ただ文字だけを音読することです。
当時の子どもたちは、ただ難解な文章を毎日読んで暗記していきました。
意味もわからずそんなことをして、いったい何になるのか。
これが明治期以降の日本人の典型的な考え方です。

意味も分からずに頭の中に叩き込んだ言葉の群れは、深層意識の中で言葉のセンスをつくり、文章を書くとき、格調のある文章となってでてくるのです。
書くものが全然違ってきます。
潜在意識へのインプットが、後年その人の高い資質となって出てくるのです。
意味も分かる時がきます。

アウトプットを急がないようにしましょう。
『待ちの教育』が大切なのです。
インプットがその人の深い資質となってアウトプットされるようになるのです。

昔の人が『右脳』の持つ意味を細かく知っていたとは思えませんが、にもかかわらず、昔の人たちは非常に優れた右脳教育を実践していたように見えます。

たとえば、明治維新の礎となった偉大な志士たちが多く育った『塾』といえば吉田松陰の『松下村塾』があります。
歴史の上に燦然と輝く松下村塾が存在したのはわずか2年に過ぎません。
それだけの期間しかなかったにもかかわらず、後代の日本を築く人材を育てた松蔭の教えとはどんなものだったのでしょう。

それは
『志を持て』
ということでした。
松蔭は、
『志をもたないものは人ではない。虫(無志)である』
と教えました。

これは右脳教育の基本とするところに一致しています。
松蔭はすでに日本の大きな黎明期に、右脳教育などという言葉は知らずして、すぐれた右脳教育を行っていたのです。

右脳教育で大切なことは、知識を詰め込むことではなく、子どもに本来備わっている優れた潜在能力を引き出すことにあります。
そして、志の大切さを教えるのです。
自分の周りの人を喜ばせ、幸せにし、多くの人たちに貢献するには自分は何をすればよいのか。

どんな子どもも、本来は100%使える能力を持ってこの世に生まれてきます。
しかし、生まれた環境の中にそれを引き出す刺激や教育がないと引き出すことはできません。
右脳という観点から見ると、どんな子どもでも、賢く育てることができるのです。

―――チャーリー・チャップリンの言葉(監督作品『ライムライト』より)―――

バラは、バラになろうと望んでいる
岩は、岩になろうとしている
宇宙にある力が、地球を動かし、木を育てる

君の中にある力と同じだ。
その力を使う勇気と意志を持つのだ。

コペル 代表 大坪信之

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