コラム 大坪信之のワンポイント徳育アドバイス

2014/01/515 吉田松陰の母・滝の強さと優しさ

明治維新の精神的指導者としてその名を広く知られる吉田松陰。
幕末の激動の時代に生き、明治維新を支えた数々の偉人たちを松下村塾において教育しました。
歴史に残る彼の偉業は、その母である滝の優しさに大いに支えられてなされたものだったのです。

松陰の生家である杉家は、松陰の祖父である七兵衛の本好きゆえの散財により、滝が嫁いでくる前からとても貧しい家でした。
加えて松陰の父・百合之助が13歳の時に家が全焼し、以来より一層貧苦にあえぐようになりました。
そんな中、杉家に嫁いできた滝が一番初めに口にした言葉はこうでした。

「今日から、毎日風呂に入ります。」

江戸期には風呂を沸かすことは現代とは違って、とても大変な重労働でした。
何人ものお手伝いを雇っている武家屋敷ですら、数日に一回入るのが普通であるほどでした。
それにも関わらず、滝は杉家で毎日風呂を沸かすというのでした。

もちろん彼女は、大変な重労働である風呂を沸かす作業は全て自分ひとりの力で行いました。
松陰ら子どもたちは成長すると、自然と母の仕事を手伝うようになったと言います。

父・百合之介は、初めは身分不相応だと言って毎日風呂を沸かすことに反対したそうです。
しかし、滝は毎日風呂に入ることだけは決して譲りませんでした。
滝の考えはこうでした。

貧しさのあまりに心まで貧しくなってしまってはどうしようもない。
温かい湯につかることで、心まで温まり、翌日も頑張る意欲が生まれるはずだ。
寒さは気力を萎えさせてしまう。

家族は次第に納得し、文句を言わないようになりました。
そしてこんな滝の強さは、幼い松陰の心に色濃く刻み付けられていくのです。

松陰の父である百合之助の末弟、玉木文之進は、松下村塾の開始者であり、とても厳しい性格であると言うことでその名を知られるほどでした。
陸軍大将で裕仁親王の教育係を務めた乃木大将も、この玉木文之進の薫育を受けたそうです。
そんな厳格な彼をして
「我が兄嫁は男子も及ばぬ婦人である」
と言わしめたほど、松陰の母である滝のまめまめしい働きぶりはいつも周囲の人間を感嘆させていたと言います。

滝は根っから陽性な、明るく前向きな女性でした。
杉家に嫁に迎えられたのも、赤貧にあえぐ杉家にその芯の強さと明るさで杉家に活気を与えてくれればと望みをかけられてのことだったそうです。

松陰は22歳の時、有名な人々を訪ねて様々なことを学ぶために10年間の諸国遊歴の旅に出ました。
この時、滝は巨額の旅費を松陰に渡し彼を非常に驚かせました。
非常に貧しかった杉家に、そんな大金の都合がつくはずはなかったからです。

話を聞くと、なんと滝は貧乏の中から息子に何かあった時のためにとコツコツ貯金をしていたのです。
松陰はこの話を聞いて涙をこらえることができなかったと言います。
そしてこの母の優しさに支えられた遊学こそが、松陰の一生を、そして日本の歴史を大きく左右することになったのです。

松陰が江戸に滞在していた時、浦賀ではペリーが軍艦を率いて開国を迫っていました。
世に言う黒船来航です。
すぐにでも世界情勢を学ぶことが必要であると考えた松陰は、勇猛果敢にも一隻の小船で黒船に近づき、アメリカへ連れて行ってくれるように頼みました。

しかし、交渉は失敗してしまいました。
松陰は捕えられ、長州に送られます。
そしてこの後、長きにわたって牢獄生活を送ることになるのです。
この牢獄生活の間の母滝のかいがいしい奉仕は世の人を感嘆させ、尊敬の念を持って語り継がれてきました。

捕えられ、牢獄生活を強いられるようになった吉田松陰。
彼を支えたのは母親・滝の強さと優しさでした。
母親である滝は、温かい着物や食べ物を牢獄へと差し入れ続けました。
松陰が退屈しないように、本や紙、筆記用具までも届けたのです。

このエピソードから、滝がどれほど松陰のことを大切に思っていたかがよく分かりますね。
牢獄は湿気が多いので衛生面を心配した滝は、何度でも洗濯に訪れたといいます。

松陰は、牢獄の中でたくさんの本を読み、牢獄に入っている人々に自分の考えを広め、次々と感化したそうです。
松陰の偉大さを表すこんな逸話も、母・滝の思いやりに支えられたものであったのですね。

こんなにも母から愛された松陰ですが、安政6年5月25日に江戸に送られました。
旅立ちの前日、藩の情けで帰宅を許された松陰は、母とこんな言葉を交わしたと言います。

「大さん、無事で帰ってくれるでしょうね」
「ハイきっと帰ります」

松陰が生きて帰ることはありませんでした。
同年10月27七日、彼は30歳にして江戸伝馬町の獄において斬首の刑に処せられました。

親思う
心にまさる
親心
今日のおとずれ
何ときくらん

これは、吉田松陰が処刑される1週間前に詠んだ歌です。
松陰は最後まで、母への感謝の思いを忘れなかったのですね。
松陰の母の心づくしは、松下村塾から出た明治の人材の口からも永く感謝されて語られ続けたそうです。

強さと優しさで吉田松陰を支え続けた母・滝の姿は大切なことを教えてくれますね。

コペル 代表 大坪信之