コラム

2014/01/517 ナポレオンを育てた母の『誇り』の教育

革命期フランスの軍人・政治家であり、ナポレオン1世としてフランス第一帝政の皇帝にもなったナポレオン・ボナパルト。
フランス革命後の混乱を収拾して軍事独裁政権を樹立し、イギリスを除くヨーロッパの大半を勢力下に置きました。
歴史に残る偉業を成し遂げたナポレオンは、次のような名言を残しています。

子供の将来は、その母の努力によって定まる。

─── ナポレオン・ボナパルト

こんな言葉を口にさせたナポレオンの母親とは、どんな人物だったのでしょうか?
興味深いですよね。今回は偉人ナポレオンの母親の子育てに焦点を当てお話していきたいと思います。

ナポレオンは、1769年の8月15日に地中海に位置するコルシカ島に生を受けました。
ナポレオンの母マリア・レティツィアは夫との間に5男3女をもうけ、そのうちの次男がのちのフランス皇帝となるナポレオン・ボナパルトです。
レティツィアは、彼の生涯に非常に大きな影響を与えました。
とてもしっかりとした女性で、夫でありナポレオンの父親はもちろん、戦闘に臆病な男たちを怒鳴りつけるほどの肝っ玉母さんだったそうです。

彼女がいかに強気な女性だったかがよく分かるエピソードがあります。
ナポレオンが皇帝になった時に、母レティツィアがあまりにも彼に対して小言を言うので、しびれを切らしたナポレオンは彼女にこんな言葉をぶつけました。
「余はフランス皇帝なるぞ!」
すると彼女は、間髪入れずにこう言い返したそうです。
「私はその皇帝の母なるぞ!」

このエピソードからは、彼女が母としての威厳に満ちた女性であったことが分かりますね。

ナポレオンの父親は早くにこの世を去りましたが、彼女は再婚もせずにフランス属領のコルシカ島で大勢の子どもたちを女手一つで育て上げました。 ナポレオンは青年時代、フランスの兵学校に留学しながら、実家がとても貧しかったために苦労して勉学に励みました。
のちにナポレオンは皇帝となり一家の家計はこの時期とは比較にならないほどに潤いますが、母レティツィアはどんなに息子のおかげで贅沢ができるようになっても決して必要以上にお金を使おうとはせず、死ぬまでつつましく暮らしたそうです。

母レティツィアは、どんなに自分の息子が偉くなったとしても、どんなに自分の立場や経済状況が変わっても、いつも自分の身の程をちゃんと理解していた非常に賢明な女性でした。
ナポレオンがフランス皇帝になることにも反対したというのだから驚きですよね。
彼女は決して社会的地位や金銭に踊らされることなく、本当に大切なものは何であるかを知っていたのです。

皇帝であるナポレオンの威を借りようとはせず、生涯にわたって自分の身の程をわきまえた賢明ですばらしい母、マリア・レティツィア。
彼女の息子であったからこそ、ナポレオンはあれほどの大活躍をすることができたのかもしれませんね。

挫折したり、壁にぶつかることなくして偉業を成し遂げることができた人はいませんよね。
苦しいとき、つらいとき、諦めてしまいそうなとき、壁を乗り越えるための大きなエネルギーとなるのが、自分への『誇り』です。

ナポレオンをして、
「私のなしえたすべては、一人の女性のおかげだ」
と言わしめた母レティツィアの教育は、自分への『誇り』を非常に重んじていました。
ナポレオンがまだ幼いころに、母レティツィアは毎日のようにこんな言葉を言って聞かせました。

「どんなことがあっても、名誉と約束だけは重んじるのだよ」

そして彼女は、ナポレオンが嘘をついたり人の目を盗んだり約束を破ったりしたときには、厳しく指導したといいます。

ナポレオンは晩年、彼女の教育を振り返ってこんな言葉を残しました。

「母はつねに、くだらないことよりも大きなことを重んじた」
「いまでも、子どものころ母から受けた『誇り』の教育が記憶によみがえる。その教訓こそ一生涯、私に働きかけた」

おわかりいただけましたか?
彼女の『誇り』の教育は、彼の心の中に生き続けていたのですね。
この『誇り』の教育こそが、彼の逆境にも負けない強さを育て、偉業を成し遂げる糧となったのでしょう。

コペル 代表 大坪信之

フェイスブック ツイッターをフォロー お問合せ