コラム

2014/01/53. 福沢諭吉の母が示した愛情と優しさ(2)

【諭吉の糧となったのは、母の温かさ】

そのあと諭吉が学問を志し、
「私を大阪に出してください。どうにか物になるまで学問がしたいのです」
と願いだしたとき、諭吉の家には蓄えもありませんでしたが、母は
「おお、それがよろし。修行のためならば、どこへでも母はやりますよ」
と言って、諭吉を大阪へ送り出しました。

家にある物は残らず売ってしまったので、諸道具もなく、赤貧洗うがごとくの状態であったそうです。
身を削ってでも諭吉の学問を応援する母の優しさのおかげで、諭吉の未来は開けたのですね。

【母の愛に応えるべく学問に邁進した諭吉】

諭吉は大阪で「いつ寝ているのだろう?」とうわさされるほど、勉強を続けて立派な学問と考えを身につけるようになりました。
そして彼は慶應義塾を作り、新時代の指導者として仰がれるようになったのです。

諭吉は母を迎えに行き、母お順は諭吉の孝養を受けて天寿を全うしました。

【諭吉の教育論が大切にした「徳育」】

『学問のすゝめ』は、全部で17編になりましたが、当時10人に1人は読んだであろうといわれ、心の豊かさや徳育を大切にする教育論として人々に大きな影響を与えました。
ここには彼の母親が彼に伝えた深い愛情と優しさが息づいているといえるでしょう。

おわかりいただけたでしょうか?
子ども時代に受けた母の愛情と優しさは子どもの心の成長に大きな影響を与えるのですね!
――――エレン・ケイ(スウェーデンの教育学者)の言葉――――

「人道は母の温かみによりて存続する」

どうぞ、お子様に限りない母の温かさで接してあげてください!
お子様の心には大きな大きな優しさの花が咲くことと思います。

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