コラム 大坪信之のワンポイント徳育アドバイス

2014/06/1326 グリム兄弟を支えた家族の絆

今回は「偉人の母」シリーズよりかの有名なグリム兄弟を育てた両親の素晴らしい教育についてお話ししたいと思います。

ヤーコプ・グリムとヴィルヘルム・グリム。
ご存知の通り彼らは今も愛され読み継がれる『グリム童話』を編纂しました。
「ヘンゼルとグレーテル」「赤ずきんちゃん」「ブレーメンの音楽隊」……。
知らない人はいませんよね。
同時に19世紀のドイツでは言語学・文献学・民話収集・文学など様々な分野において優れた功績を残し注目を集めていました。

そんな偉業を果たした二人がどのような環境で育ったのかをお話ししていきましょう。

兄弟はハーナウの裕福な家庭に長男と二男として生まれました。
法律家の勤勉な父と良妻賢母の母に愛されすくすくと育って行きました。

牧師の息子である父フィリップは非常に堅実で賢く勤勉な人でした。
「正しく生きれば、まちがいはない」
これは彼がいつも心に留めラテン語で記して持ち歩いていた彼の信条です。

母であるドロテーアは、その大変深い愛情でいつも兄弟を包んでくれました。
優しく子煩悩であり、子どもたちのことをいつも第一に考えていたそうです。

良妻賢母と呼ばれた彼女の性格を表すエピソードが残っています。
ヤーコプが大学生になったころ、パリに招かれる機会がありました。
1月のパリは身も凍る厳しい寒さに晒されていました。
そんな中、母・ドロテーアは息子の身を案じて毎日毎晩外に出ては天候を心配して祈っていたそうです。

いかに彼女の息子たちへの愛情が深かったかがよくわかる逸話ですよね。

優れた人格の両親の愛に包まれて過ごした幼少期の記憶はグリム兄弟を支え、のちに彼らの成功を
強く後押しするのです。

堅実で愛情深い優れた人格の両親に囲まれ、幸せな時を過ごしたグリム兄弟の幼少期。
しかし1796年、一家に不幸が訪れます。
父親が肺炎で死去し、困窮に陥ることになるのです。
裕福だった一家は一転して逼迫した家計に追われるようになりました。

幸いにも祖父と伯母が一家のために尽力してくれたおかげでグリム兄弟は名門である古典語高等中学校に入学することになります。
それからというものの彼らは二人三脚で大層熱心に勉学に勤しみました。

彼らの胸には、助けてくれた祖父に繰り返し聞かされたこんな言葉があったのです。
「よく勉強して出世し、将来は富と名誉を手に入れて、お母さんを喜ばせなさい」

彼らは自分たちを深い愛情で包んでくれてここまで育ててくれたお母さんに、恩返しをしようとしていました。
誰よりも熱心に勉強に励む彼らの背中は、勤勉で真面目な父親の面影と重なるようでした。
幼少期に両親と過ごした幸せな日々と感謝の思いが彼らの努力の追い風となり、グリム兄弟は徐々に周囲の注目を集める存在になっていくのです。

彼らは積年の努力の甲斐あって首席でリュツェウムを卒業します。
卒業後はマールブルク大学に進み、引き続き峻厳たる努力を重ね、立派な学者へと成長していきます。
このような並々ならぬ彼らの努力の陰には、いつも家族への感謝の思いと恩返しをしたいという熱意がありました。

両親の愛情と幸せな記憶、そして感謝の思いと恩返しをするという決意を分かち合った兄弟は、堅い絆で結ばれていました。
そんな二人の仲のよさを表す手紙が残されているので、ご紹介いたします。

以下の手紙は、ヤーコプがパリへと発った際にヴィルヘルムが兄を追いかけるように送った手紙です。

『兄さんが行ってしまったとき、僕は胸が裂けるかと思った。
 我慢できなかった。
 僕が兄さんをどんなに愛しているか、きっと兄さんには分からないだろう。』

対して兄はこんな手紙を返送します。

『もう決して離れないようにしよう。
 どちらか一方をどこかへ連れていこうとする人がいても、もう一人が断固拒否することにしよう。
 僕達は共同生活に慣れているから、一人になっただけで死ぬほど悲しくなるんだ。』

このように熱い兄弟愛に結ばれた兄弟の生活は、お世辞にも裕福とは言えないものでしたが、涙ぐましい貧しい生活の中でも、彼らは家族のために走り続けました。
二人がその生涯に著したものはなんと43冊にも及ぶのです。

父母が亡くなってからも彼らは、他の兄弟の模範となるべく生きて、家族を愛し続けました。
父親が授けた真面目で勤勉な性格と、母親が授けた大変豊かな愛情は、兄弟の仲に脈々と受け継がれ、家族の幸せを願う思いが彼らの偉業と成功をもたらしたのですね。

コペル 代表 大坪信之