コラム 大坪信之のワンポイント徳育アドバイス

2018/05/2038 子どもに伝えたい、渡辺崋山の「規律の正しさ」と「勤勉さ」

江戸時代の有名な画家である、渡辺 崋山(わたなべ かざん)をご存知でしょうか。今回は崋山の生き方から、努力、勤勉の重要性を学んでいきたいと思います。

崋山は、江戸時代後期の武士、画家。三河国田原藩の家老となりました。通称は登(のぼり)といいました。
家はとても貧しかったそうです。しかし、画を描かせてくれる両親のもと、熱心に画の勉強に励みます。

登(華山)は人のすすめにより、ある師匠について、画をならうことになりました。
登は、母からわずかな金をもらっては紙を買い、夜昼熱心に稽古をしていましたが、師匠に十分なお礼をすることができなかったため、二年ばかりで断られました。

登は、一日でも早く上手になって、父母を安心させようと思っていましたから、たいそう力を落として、泣き悲しみました。
父はそれを見て、
「それくらいのことで力を落とすようではだめだ。ほかの師匠についてしっかり勉強するがよい」といってきかせました。

登は、父のことばに励まされて、また、ほかの師匠につきました。

その師匠は、登を気の毒に思って親切に教えてくれ、登も一心に勉強しましたので、画がぐんぐん上手になりました。
そこで、登は、画を描いてそれを売り、うちの暮らしを助けながら、なお熱心に、稽古に励みました。

その間に、登は、学問にも励みましたが、ひまが少ないので、毎朝早く起きてご飯をたき、その火あかりで本を読みました。
登は、勤勉に努力を重ね、だんだん重い役に取りたてられました。

また登は、たいそうきまりのよい人でした。
重い役になっても、うちにいるときは、朝・昼・晩、それぞれ時刻にわりあてた仕事の時間割を作って、そのとおり行いました。

そのように、登は、日々の仕事を決めて、規律正しくしたので、画がたいそう上手になって、人々にもてはやされたばかりではなく、学問も進んで世間のためになりましたので、立派な人として敬われたそうです。

私たちも規律正しく、勤勉さを大事にすることを、自分自身、そして子どもにも伝えていきたいですね。