コラム 大坪信之のワンポイント徳育アドバイス

2018/06/2039 吉田松陰に学ぶ”兄弟を仲良く育てること”の重要性

幼い頃から共に育った兄弟の絆は、年を経るごとに、かけがえのない財産となる素晴らしいものです。
今回は、兄弟の深い絆を表す逸話として、吉田松陰のお話をご紹介することで、改めて兄弟の絆の重要性をお伝えしていきたいと思います。

松陰には、一人の兄と四人の妹、一人の弟がいました。
七人兄弟は、いつも皆仲良く、お互いに助け合っていました。

兄の名は、梅太郎。すぐ下の妹の名は、千代と言いました。
松陰を含めたこの三人は、兄弟の中でも年齢が近く、また、家が貧しい時に一緒に育ったため、お互いに助け合うことが多く、自然と絆も深くなりました

松陰が大人になってからは、家に帰ることは少なくなりました。
“国のために尽くす”という大志を抱き、全国を飛び回ったり、江戸への所用も多かったためです。

そんな中、兄の梅太郎は、松陰の分までよく父母の面倒をみて、いつも、故郷の便りを弟の松陰に知らせてやりました。
梅太郎は、大志を遂げんと邁進する松陰を応援しながら、安心して仕事に専念できるように家を守り、家族の無事を報告していたのです。

一方で、松陰は、どこにいる時も故郷の家族のことを忘れず、父母の側にいてあげることができないのをいつも気にかけ、兄や妹が自分に代って父母を守ってくれるように、しっかりと頼んだと言います。

信頼できる兄弟の存在があったからこそ、彼も自分の仕事に専心することができたのでしょう。

また、松陰は、妹たちをよく可愛がりました。妹の小さい頃には、書物を教えたり、字を習わせたりしたと言います。
大きくなって、妹たちがお嫁に行ってからも、手紙を書いて送ったり、家を守って子どもを教える道を、こまごまと書いて与えたりしたそうです。

そんな手紙の中に、次のような言葉がありました。
「人の子というものは、賢い子も愚かな子も、良い子も悪い子も、たいていは父母のおしえによるものである。」
とりわけ、子どもの幼い間は、母の教えが大切であると戒め、人として、母として大切な教えを、懇々と説いたといいます。

大人になり、人生の重大事件に出会うときにも、松陰は兄として、いつも下の兄弟たちを気遣い、大切な人生の指南者となっていたのです。

松陰は、いつも家族や兄弟を気遣い、兄弟は彼の立てた大志を応援し、手助けをしました。
松陰が、逆境や挫折にも負けずに大志を果たすことができたのは、少なからず、兄弟の絆が助けとなっていたからでしょう。

私たちも、兄弟仲良く助け合いたいものですね。