コラム 大坪信之のワンポイント徳育アドバイス

2018/01/2034 北野武の母親に学ぶ子どもへの深い愛情と教育

北野武(ビートたけし)を知らない人はいませんよね。
日本のお笑い界を席巻し、映画監督・北野武の名を世界中に轟かせました。

日本のテレビ界を代表するタレントであり、一般人か芸能人かを問わず、発言や行動が多大な影響力を持つ人物の一人ですね。

そんな「笑いの天才」「映画の天才」と呼ばれ、一時代を築いた彼を育てた、お母さんのお話をご紹介したいと思います。

北野武は、東京都の足立区で、父菊次郎と母さきの間に五男として生まれます。

母さきは、独自の教育論を持ち、教育を第一に考える女性でした。
母さきは、子どもたちが十歳に上がるまでは、毎晩欠かさず鉛筆を削ってやり、教科書やノートを確認してあげました。

子どもたちが登校した後も、彼女は休まず子どものことを考えます。
朝10時になると、学校へ足を運んで、運動場の窓から子どもたちが勉強する様子を見守っていたというのです。

こんな彼女の熱心な教育が、北野武のような奇才を育てたのです。

貧しかった北野家では、小さな裸電球の下の、みかん箱のような机で子どもたちが勉強をしていました。
しかし、父菊次郎は帰ってくると、電球が明るくて眠れないと怒鳴ります。

そこでさきがどうしたかというと、大きな懐中電灯と塩むすびを携えて、近所の街灯の下へ出かけていくのです。
そこでしゃがんで本を読む子どもたちを、ずっと、懐中電灯で照らしていたというのだから驚きです。

このように、驚くほどに教育熱心だった彼女のエピソードは、他にも多く残っています。

北野武が、幼少期に教育熱心な母に教えられて蓄えた教養や考える力は、タレント、映画監督、作家、教授など、様々な分野にわたる活躍の礎となっていました。
母の存在があったからこそ、北野武の天才が育まれたのです。

北野武は、自ら母のことが大好きだと公言しています。
自分に愛情と大変熱心な教育を与えた母の影響力は、彼にとってたいへん大きなものだったのでしょう。

さきが入院している時には、非常に頻繁に病室を訪れ、母の身を労わっていたといいます。

1999年8月、母さきが亡くなったお通夜の記者会見で、北野武は「かあちゃん…」と絶句し、体躯を震わせて涙を流しました。
カメラや人目をはばからずに泣き崩れる彼の姿に、インタビュアーや視聴者も、もらい泣きせずにはいられませんでした。

いかに彼の心の中で、母の存在が大きかったかがよく分かる一瞬です。

コペルでも、親の愛情が子どもの自尊感情を育み、自信や自立を促すという教育をさせていただいていますが、このように、海よりも深い愛情と熱心な教育、心をつくした母さきの子育ては、北野武の心に大きな影響を与え、類まれなる才能を育てたと言えるのではないでしょうか。

―――北野武の言葉—
30過ぎて親を許せない奴はバカだ

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