コラム

2017/11/2032 幼児教育にも活かしたい、上杉鷹山に学ぶ倹約のススメ

上杉鷹山(うえすぎ ようざん 1751年9月9日 – 1822年4月2日)という人物をご存知でしょうか?

アメリカ合衆国 第35代大統領 ジョン・F・ケネディや、第42代 ビル・クリントンは、日本人の政治家の中で一番尊敬している人物として、上杉鷹山を挙げています。
今回は上杉鷹山公のエピソードから、倹約の心を学んでいきたいと思います。

上杉鷹山は、江戸時代中期の大名で、米沢藩の第9代藩主。
領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られています。

上杉鷹山は、10歳の時に、福岡の秋月家から上杉家へ養子に来ました。
17歳のとき、米沢藩主となり、良い政治をして評判の高かった人であります。

上杉鷹山が藩主に就いたころの上杉家は、借財(負債)が20万両(現代の通貨に換算して約150億から200億円)に累積する一方、石高が15万石と、以前の半分以下の額になってしまっておりました。

藩の財政が厳しくなっているものの、以前から仕えていた、家臣団6,000人を召し放つことをほぼせず、家臣も、上杉家へ仕えることを誇りとして離れず、このため、他藩とは比較にならないほど、人口に占める家臣の割合が高かったので、人件費だけでも、藩財政に深刻な負担を与えていました。

さらに、領内には凶作が続いて、領民も大そう難儀をしていました。
鷹山は、このままにしておいては、家の亡びるのを待つより外ない、と考えて、倹約によって家を立て直し、領民の難儀を救おうと固く決心をしました。

鷹山はまず、江戸にいる藩士を集めて、
「このまま当家の亡びるのを待っていて、人々に難儀をかけるのは、誠に残念である。これほど衰えた家は、立直す見込みがないと誰も申すが、しかし、このまま亡びるのを待つよりも、心を合わせて倹約をしたら、あるいは立ち行くようになるかも知れない。志を一つにして、みんな一生懸命に倹約をしよう。」
と言い聞かせました。

「殿様は小藩にお育ちになったから,大藩の振り合いをご存じない」などと悪口を言う者もありました。
また「皆は喜ばないことは、おやめになった方がよろしゅうございましょう」といさめる者もありました。
しかし、鷹山は少しも志を動かさず、藩士たちに倹約の大切なことをよく説き聞かせました。

鷹山自身もまず自分の暮らし向きを改めました
大名でありながら、食事は一汁一菜、着物は下着まで木綿物と決めて、手本を示しました。
鷹山は、誠実に倹約を守っていましたが、立派な大名が、まさか上衣はもちろん、下着までも木綿を用いようとは側役の人たちの外、誰も信じませんでした。

ある日、鷹山の側役の父が、知り合いの人の家に泊まったことがありました。
その人が、風呂に入ろうとして着物を脱いだ時、粗末な木綿の下着だけは、丁寧に屏風にかけておきました。

主人は、不思議に思って「どうして、下着だけそんなに大事になさいますか」と尋ねますと、客は「この下着は、殿様がお召しになっていたものをいただいたものですから」と答えました。
主人はそれを聞いて、大そう藩主の倹約に感じ入り、その下着を家内の人に見せて、倹約をするようにいましめました。

それからは、藩士はもちろん、領内の人々がこの話を伝え聞いて、鷹山の倹約の普通ではないことを知り、互いにつつしみ、よく倹約を守るようになったので、しまいには、上杉領内一般も、豊かになったということです。

家庭内での子育てにおいても、上杉鷹山のようにつつしみ、倹約を心がけること、そしてそれを子どもにのみ行わせるのではなく、まずは親自身から実践することを心がけていきたいですね。

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