娘に火がついた
「ママ、コペル辞めたい。」
教室からの帰り道、不機嫌そうな娘がぽつりともらした。
教室に通い始め、2カ月がたとうとした頃であった。
「なんで辞めたいの?」
深刻になり過ぎないよう、私は理由を聞いた。
「つまらないから。」
隣席の子たちが軽々とこなす課題に苦戦する娘の丸まった小さな背中が思い浮かんだ。
さて、どう答えるべきか。
障壁に立ち向かう姿勢は必要であるが、娘にとって、むいていないと感じていることを無理に続けさせるべきか。結論はすぐにでなかった。
「はじめたばかりだから3月まではやってみない?3月になっても辞めたかったら辞めよう。」
娘は小さく頷いた。
劣等感をもっていた娘の転機となったのは、“暗唱入門”であった。
暗唱入門の冊子は入会時にもらったが、数ページ目を通し、内容を理解するのは難しいだろうと本棚の隅にさしこんだ。
同じクラスの子が暗唱に挑戦しているのをみて、娘もやってみたいと言い出した時は、冊子を捨てていないか心配になったくらいだ。
暗唱入門をひらくとまず目にしたのは、「あ 足元に火がつく」であった。
足に火がつく絵を描いたり、身近にあるもので例文をこしらえたり、試行錯誤し娘の試みを後押しした。
娘には、まだ早い、難しいだろうというのは私の思い込みであった。
暗唱入門をはじめてすぐに、先生の前で2ページ分のことわざを披露した娘の背筋は伸び、ちょっとした自信がうかがえた。
出来なかったことが出来るようになる。
知らなかったことを知るというのは心を弾ませる。
私の真似をして、「時は金なり」ということわざを絵に描いたりと、自ら学びをつかんでいく姿がみられるようになった。
(娘が描いた「時は金なり」は、時計にそえられたお金を描いたものであったが、紙幣ではなく貨幣であったのは微笑ましい思い出である。)
暗唱入門をすすめていくうちに親娘で、楽しみながら暗唱する工夫を編み出した。
① ページがすすむにつれ、暗唱の分量や耳馴染みない語彙が増えてくる。
難しくて覚えられそうもないと尻込みしてしまう初日の壁である。
「ママと一緒に3回だけ読んでみよう」とクリアしやすい目標を設定し
第一歩を踏み出させる。
② 3、4日と過ぎるころ、暗唱に飽きてくる。
そんな時は、わざと間違えた言葉を使い、間違い探しのようなゲームに変えてしまう。
楽しみながらといっても、1週間の成果を発表するときは緊張する。
発表の前日に完璧に暗唱ができていたとしても、言葉につまることがあった。
項垂れ、焦る我が子をみていると手を差し伸べたくなる。
頑張れば頑張った分だけ、できなかった時の悔しさは比例するので、大粒の涙を流ししゃくりあげる娘を宥めたのは、1度や2度ではなかった。
これからの娘の人生において、頑張っても報われないことはあるだろう。そんな時に気持ちを再び奮い立たせるのは、親ではなく娘自身である。レジリエンスを育むよい経験にもなったと思う。
暗唱入門を始めて4か月後、娘は盾を手にし、満面の笑みを浮かべ写真に納まった。
ちょうどその頃、コペルを辞めるか聞いた。
娘は「なんで?コペルで遊ぶの大好きなのに」と、辞めたいなんて口にしたことはとっくに忘却し、不思議そうに首をかしげる。
「暗唱皆伝終わった時の大きいトロフィーはどこにおく?」と意欲も満々である。